山形県済生会について
山形県済生会は、済生会創立30周年記念事業の一環として山形市旅篭町に設置された山形産院が始まりとなり、昭和19年5月19日に設立されました。
現在は、山形済生病院を中核的な事業として、病院附属診療所、特別養護老人ホーム、盲養護老人ホーム、介護老人保健施設、訪問看護ステーション、保育園、乳児院のほか様々な在宅介護、福祉サービスを設置・運営し、済生会の理念に基づいて、保健・医療・福祉の総合的なサービスを提供しています。
済生会創設の理念である「施薬救療 恵まれない人々に医療と福祉をとどける」に基づいて、病院や介護老人保健施設では無料低額(診療)事業を実施しているほか、山形県内唯一の盲養護老人ホーム、民間立乳児院を運営するなど、活動の幅を広げています。
少子高齢化が進展するなか、ここ数年間のコロナ禍を経て、一層社会の変わりようはめまぐるしく、保健・医療・福祉のあり方も大きな転換期にさしかかっています。
私たち済生会人としては歴史と伝統のなかで培った"済生"の心をしっかりと胸にきざみ、地域に生きる人たちの命を支え、健やかな体がはぐくまれるよう、これからも日々決意を新たに精進してまいります。
山形県済生会の組織
支部会長 | 吉村美栄子(山形県知事) |
支部副会長 | 安達春彦(山辺町長) |
支部長 | 濱崎允(山形済生病院名誉院長) |
支部役員 | 支部理事 定数17名 支部監事 定数2名 |
支部事務局 | 〒990-8545 山形県山形市沖町79-1 山形済生病院内 |
施設・事業 | 山形済生病院 山形済生病院附属小白川診療所 済生会山形訪問看護ステーション 介護老人保健施設フローラさいせい 特別養護老人ホーム愛日荘 特別養護老人ホームやまのべ荘 特別養護老人ホームながまち荘 特別養護老人ホーム山静寿 養護(盲)老人ホーム山静寿 小白川ケアセンター 乳児院はやぶさ はやぶさ保育園 |
職員数 | 約1,500人 |
山形県済生会の沿革
「支部山形県済生会の発足」
昭和15年4月1日、既設の米沢市立の診療施設が済生会本部直轄の医療施設として運営を委託され、山形県内初の済生会の医療施設が誕生しました。(現在この施設はありません)
昭和16年、済生会は創立30周年を迎え、特設診療機関の増設など様々な事業を打ち出しました。その当時、済生会事業の実施は当会施設の他、都道府県が担っていましたが、山形県庁で済生会の業務を担当していた、兵事厚生課課長の松田仁兵衛氏は特設診療機関設置に向けて奔走します。かくして、昭和18年12月、山形市旅篭町に病床数14床の「恩賜財団済生会山形産院」を開院しました。そして翌19年5月19日に山形産院の「開設許可証」が山形県知事から交付され、この日をもって支部山形県済生会の正式な設立日としています。
以来80年余に渡り、活動の場を広げながら、山形県民の医療と福祉の向上に貢献し続けています。
「済生会と山形」
明治44年の済生会設立に奔走したのは、米沢出身の内務大臣平田東助でした。その後も、戦前戦後の混乱期を常務理事として支えた、米沢市出身の鈴木信太郎。済生会の医療技術の進歩や発展に尽くした医務副主幹・参事、米沢市出身の宮島幹之助。昭和2年から9年間済生会理事長を務めた第11代山形県知事 馬淵鋭太郎、昭和16年から戦前戦後にかけて3度にわたり済生会理事長を務めた第26代山形県知事武井群嗣など山形ゆかりの多くの人が済生会の発足から発展に関わっています。
社会福祉法人恩賜財団法人済生会の概要
「済生」とは命を救うこと
明治時代の末期、日露戦争の戦勝国として「成金時代」という好景気にわいていた一方で貧富の差は広がり、低所得者層が満足な医療を受けられない状況でした。
このような中で、明治44年2月11日、明治天皇は、時の桂太郎総理大臣を召され、万人に医療救護の手をさしのべ、永く国民に利用させてもらいたいとのお言葉、"済生勅語"と「御手元金150万円」を下賜されました。
これを端緒に、全国の官民から大きな支援と寄付をいただき、同年5月30日に『恩賜財団済生会』が正式発足します。
以来110年余、全国40都道府県で医療と福祉の向上に努めるほか、「生活困窮者支援の積極的推進」「最新の医療で地域に貢献」「医療と福祉、切れ目なく」を大きな活動目標として、ソーシャルインクルージョンが根付いた社会を目指し行動しています。
社会福祉法人恩賜財団法人済生会
総裁 | 秋篠宮皇嗣殿下 |
会長 | 潮谷 義子 |
理事長 | 炭谷 茂 |
本部 | 東京 他支部40都道府県 |
施設数 | 病院 82 診療所 20 介護医療院 2 介護老人保健施設 28 児童・老人・障害者福祉施設等 154 看護師養成施設 7 ほか 合計 402施設(令和5年4月) |
職員数 | 約64,000人 |
済生勅語について
済生会の創設者 明治天皇のお言葉『済生勅語』の大意
「世界の大勢に応じて国の発展を急ぐのは良いが、我が国の経済状況は大きく変化し、そのため国民の中には進むべき方向を誤る者もある。政治に携わる者は人心の動揺を十分考慮して対策を講じ、国民生活の健全な発達を遂げさせるべきだ。生活に困窮して医療を受けられず、天寿を全うできない者があるとすれば、それは私が心を痛めるところだ。これらの人たちに薬を与え、医療を施して生命を救う、つまり『済生の道』を広めたいと思う。そのための資金は私が提供するので、永く国民が活用できるよう希望する。」